Supremeはストリートファッションの代名詞ともいえるブランド。世界中のセレブ、日本の芸能人が身に着けており、店舗も世界的に見ても多いため多くの情報がありますがどこよりも詳しくSupremeを掘り下げたいと思います!
はじめに
Brand Intro
押さえておこう!
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創業者はJames Jebbia(ジェームス・ジュビア)1963年7月22日生まれのイギリス人。
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1990年代 グッチのクリエイティブ・ディレクター、Alessandro Michele (アレッサンドロ・ミケーレ)が若者向けにスウェットなどを作成してヒットさせ、James自身も非常に影響を受けたと話している。
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1994年 ゲリラ的に10,000枚のステッカーをニューヨークの街中に貼り付けたプロモーションがNEW YORK TIMESで特集され知名度を高める。
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1998年 代官山店、大阪店、福岡店を相次いでオープンさせる。
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Supremeが成功した一つの要因として、当時のNY市のジュリアーニの政策も関係していた。
- すでに2000年にはeBayやオンラインフォーラムでSupremeが小売価格以上の価格で多数のアイテムが出回り始め、Supreme自体もそれを把握。転売屋の出現に対抗するために彼らは在庫を明かさず、特に海外の転売屋に対抗するため地元の購入者などに優先的に販売を行うなどの工夫を行いだした。今一般的になった転売行為はここがルーツという説がある。
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有限会社ワングラムが日本の正規代理店となり日本で展開を促進。窪塚洋介をモデル起用し様々な雑誌に登場。裏原、スケーターブームの中で不動の地位を確立。
マニア向け情報
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Spremeの前身のお店UnionはJamesの出身のイギリスのファッションを展開していた。
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ジェッビア自身はスケーターではなかった。
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有限会社ワングラムが日本の正規代理店となり日本で展開を促進。日本では窪塚洋介をモデル起用し様々な雑誌に登場。裏原、スケーターブームの中で日本で不動の地位を確立。
- スケーターからスニーカー、アート、ラグジュアリーとコラボを展開するごとにそのファン層を広げ年収は2017年当初で1億ドルに達すると予測されている(カーライル・グループから5億ドルの投資を受け入れ、企業の評価額は10億ドルを超える)。
記事の目次
Introduction
ブランドイメージ
出典:A Guide to Every Supreme Store in the World | Grailed
出典:A Guide to Every Supreme Store in the World | Grailed
イメージ動画
設立の秘話
経緯
1983年 イギリスからニューヨークにスタテン島に引っ越す。SOHOにあるParachute(パラシュート)で働く。
1989年 Mary Ann Fusco (メアリー・アン・ファスコ)と一緒にNew YorkにUnionというセレクトショップを立ち上げる。主にイギリスのブランドを実験的にミックスした商品を展開したが現在では日本初ブランドも取り扱い日本のストリートファッションを海外に広めるきっかけを作る。
1991年 Stussyの創業者Saun Stussy(ショーン・ステューシー)と一緒に働き、NYのショップを成功に導く。その合間に独立するのに十分な資金をかき集める
1994年 SOHOにあるParachute(パラシュート)が閉店するとすぐに自身の店のオープンに取り掛かるシュプリームの初の店舗がラファイエット通りにオープン。
最初は日本でもおなじみのTHRASHERやVANSなどのスケーターブランドを取り扱うセレクトショップだった。ジェッビア自身は決してスケーターではなかったがスケーターが気軽に入れるようにスペースを広めにとって商品を並べ、スケートボードを店内で乗れるよう、店の真ん中にスペースを設けていた。また高級ブティックのような内装にしていた。Supremeは単に買い物をするだけの場所ではなく、クラブのようなものになっていた。
出典:A History of Supreme: From Independent Skate Shop to Global Powerhous
スケーター達は店に集まって、ぶらぶらしたり、酒を飲んだり、タバコを吸ったり、話をする当時のNYの若者のたまり場になった。1990年代、グッチのクリエイティブ・ディレクター、Alessandro Michele (アレッサンドロ・ミケーレ)が若者向けにスウェットなどを作成してヒットさせ、James自身も非常に影響を受けたと話している。
出典:GUCCI(グッチ)の鬼才デザイナー、アレッサンドロ・ミケーレの世界観にセレブが陶酔 | HolisticStyleBook
途中からシュプリームは自社製品としてTシャツを作って販売したがすぐに人気が出ることはなかった。ただ、顧客がカーハートとヴィトン、グッチとリーバイスを組み合わせて来店したときハイセンスで良質なパーカーを作ればそれが少し高い値段であっても買ってくれるかもと思い制作、それがヒットする。
1998年 日本でスケボーが流行りだすとSupremeの商品を買うためにニューヨークにわざわざ日本人が来るように。日本に大きなポテンシャルがあると気付いたJamesは代官山店、大阪店、福岡店を相次いでオープンさせる。
出典:Supreme Daikanyama - Bitmaps - Places worth visiting
Supremeが成功した一つの要因として、当時のNY市の政策も関係していた。当時のニューヨーク市長であったRudy Giuliani (ルドルフ・ジュリアーニ)が10年近くも支援を続け多くのスケートパークがオープン。間もなくシュプリームはニューヨークのスケートボードのハブとなる。
出典:LES Skatepark - New York, New York
2000年代初頭、ナイキはスケートボードの世界に復帰しようとしていた。何度かの失敗を経ていたが多くのスケーターがジョーダンやダンクを履いていたため当初、スケーターのアイコンとなっており、かつNYでNike Skateboarding (Nike SB) の最大の販売数、在庫数を誇っていたSupremeとのコラボがSupreme x Nike SB Dunk Low Pro (2002)で実現。ナイキはスケーターのコミュニティーに、Supremeはスニーカーのメインストリームにアクセスするため相互にとって非常にメリットのあるコラボだった。
出典:La historia de los sneakers Supreme x Nike SB Dunks
すでに2000年にはeBayやオンラインフォーラムでSupremeが小売価格以上の価格で多数のアイテムが出回り始め、Supreme自体もそれを把握。転売屋の出現に対抗するために彼らは在庫を明かさず、特に海外の転売屋に対抗するため地元の購入者などに優先的に販売を行うなどの工夫を行いだした。今一般的になった転売行為はここがルーツという説がある。
2004年 間もなくブランドは全米でファンを獲得し、LAのノース・フェアファックに2号店がオープン。スモールビジネスやカンターズのような有名なユダヤ系デリに隣接しており、非常にマイナーな場所だったがラファイエットの店舗に倣って同じような場所に出店。
出典:Supreme | Shopping in Fairfax District, Los Angeles
2006年 アメリカでの需要の高まりに対応するためオンラインストアを開始。同時に2カ国5店舗(原宿に日本の4店舗目をオープン)を展開
2007年 Odd FutureのTyler, The Creatorがシーンに登場 。2000年初頭まではラッパーやヒップホップとスケーター文化は分かれていたがスケートに興味を持つ新しいタイプのラッパーがLAのストリートに登場しSupremeを身に着けることでSupremeに注目する層がさらに拡大する。MTV Video Music Awardsでは、タイラーがSupremeの服を着てブランドについて語る際に、「小さなクラブ、秘密結社だ」と話し話題に。
出典:Britney, Beyonce, Kanye West & Jay-Z - The MTV VMAs 2011 in pictures | NME
2009年 イギリスの現代美術家であるDamien Hirst(ダミアン・ハースト)とのコラボを成功させ、アートとストリートファッションの融合を実現させる。ダミアンは ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBAs)と呼ばれ、1990年代に頭角を現してきたコンテンポラリー・アーティストの中でも代表的な存在。
出典:https://twitter.com/hirst_official
ダミアン・ハーストとのコラボレーションは、ブランドの歴史の中で最も注目されたリリースの一つでした。ジェフ・クーンズ、マーク・ゴンザレス、ラリー・クラークなどアーティストとのコラボレーションはシュプリームが初めてではありませんでしたが、ハーストの象徴的な多色のドット絵は、多くの人にとって最も人気のあるアート作品の一つであり、単一の色のドットが約4,000ドルで販売されていることから、スケーターのファッションをさらにラグジュアリーなものに押し上げた。
出典:AMONG PHILOSOPHY: APOTRYPTOPHANAE DAMIEN HIRST SUPREME SKATEBOARD
2012年 渋谷に日本6号店オープン。記憶に新しいコム デ ギャルソンとのコラボレーションを実施。3度目のナイキ ダンクとのコラボレーションが実現した。
2016年 ルイ・ヴィトンのコラボレーションを実現。ルイ・ヴィトンのメンズウェアの元クリエイティブ・ディレクターであるキム・ジョーンズはUnion時代からJamesのファンだったと公言している。ここでさらにストリート、アンダーグラインドからハイブランドのファンも獲得することになる。
2017年 当初で年収1億ドルに達すると予測されている。(カーライル・グループから5億ドルの投資(約50%の出資)を受け入れ、企業の評価額は10億ドルを超える)
2019年 ラフェット通りの1号店を改装のため閉店
設立メンバー
James Jebbia
出典:A Supreme Deal: $1B Valuation From Carlyle – WWD
1963年7月22日生まれのイギリス人。イギリスのウエストサセックス州クローリーで育ったジェビアは、乾電池などを手掛けるDuracell (デュラセル)の工場で働き、余ったお金を使ってロンドンに出かけ、洋服の買い付けなどを行っていた。彼自身は非常にメディア露出が少なく、自身のことを詳細に語っていないのため謎の多い人物。
ブランドの特徴
ボックスロゴ
アメリカの コンセプチュアル・アーティスト、 コラージュ作家であるBarbara Kruger(バーバラ・クルーガー)の作品にインスパイアされている。フォントはやはりバーバラの作品と同じFuturaを用いている。
よく使うパターン、モチーフ
- ボックスロゴ
- 死去したアーティスト、活動家の写真
- コラボした作家の現代アート
人気の商品
- スケボー
- ボックスロゴTシャツ
- パーカー
- ステーカー
セレブSnap
トラビス・スコット
出典:「トラヴィススコット ヴィトン」の画像検索結果 | ファッション, ファッションスナップ, メンズ
ジャスティン・ビーバー
https://twitter.com/lowkey_store/status/963679962577489920/photo/1
クリス・ブラウン
出典:Pin on brown
タイラー・ザ・クリエイター
アサップ・ロッキー
カニエ・ウェスト
出典:Asap rocky supreme | Supreme clothing, Mens streetwear, Streetwear fashion
出典:Kanye West wearing a Supreme Basquiat tee | Mens tops, Mens tshirts, Kanye west
ビクトリア・ベッカム
最後に
おさらい
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創業者はJames Jebbia(ジェームス・ジュビア)1963年7月22日生まれのイギリス人。
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1990年代 グッチのクリエイティブ・ディレクター、Alessandro Michele (アレッサンドロ・ミケーレ)が若者向けにスウェットなどを作成してヒットさせ、James自身も非常に影響を受けたと話している。
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1994年 ゲリラ的に10,000枚のステッカーをニューヨークの街中に貼り付けたプロモーションがNEW YORK TIMESで特集され知名度を高める。
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1998年 代官山店、大阪店、福岡店を相次いでオープンさせる。
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Supremeが成功した一つの要因として、当時のNY市のジュリアーニの政策も関係していた。
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すでに2000年にはeBayやオンラインフォーラムでSupremeが小売価格以上の価格で多数のアイテムが出回り始め、Supreme自体もそれを把握。転売屋の出現に対抗するために彼らは在庫を明かさず、特に海外の転売屋に対抗するため地元の購入者などに優先的に販売を行うなどの工夫を行いだした。今一般的になった転売行為はここがルーツという説がある。
有限会社ワングラムが日本の正規代理店となり日本で展開を促進。窪塚洋介をモデル起用し様々な雑誌に登場。裏原、スケーターブームの中で不動の地位を確立。
あらためてマニア向け情報
- Spremeの前身のお店UnionはJamesの出身のイギリスのファッションを展開していた。
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ジェッビア自身はスケーターではなかった
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有限会社ワングラムが日本の正規代理店となり日本で展開を促進。日本では窪塚洋介をモデル起用し様々な雑誌に登場。裏原、スケーターブームの中で日本で不動の地位を確立。
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スケーターからスニーカー、アート、ラグジュアリーとコラボを展開するごとにそのファン層を広げ年収は2017年当初で1億ドルに達すると予測されている(カーライル・グループから5億ドルの投資を受け入れ、企業の評価額は10億ドルを超える)。
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