Yeezyの紹介
最近街中でも見かけることの多いこのYeezy、読者の中にもすでにお持ちの方もいるかと思いますが、シリーズのおさらいや豆知識をご紹介していきたいと思います!
押さえておこう!
- YeezyはKanye West(カニエ・ウェスト)のブランド
- Yeezyの名前の由来は2003年の曲のイントロでJay-Zがカニエに対してつけたニックネーム "Kanyeezy "
- 2009年にナイキのスニーカーからスタート、2013年にアディダスにこのスニーカーラインは引き継がれた
- 2015年からはアパレルも開始
- アパレルはSeason1からスタートし、2020年初頭で8まで展開。タグなどにSeasonが記載されるなどSeasonごとにラインを明確にしている。
- 2016年からSteven Smith(スティーブン・スミス)がクリエイティブディレクターに就任。以前はニューバランスのスニーカーやリーボックのInstaPump Furyを手掛けた人物
マニア向け情報
- カニエのシューズビジネスの原点はBAPEとのコラボ
- カニエは学校の写生の時間にスニーカーのデザインを描いて何回も怒られたことがある
- 大学教授だった母親に連れられて日本の映画『アキラ』を見て衝撃を受けた、特にデザインに色彩に大きなインスピレーションを得た
- 今でも村上隆のデザインが好きなど日本のサブカルに大きな影響を受けている
- NikeのCEOだったMark Parker(マーク・パーカー)が飛行機に乗っているのに気付いたウェストが自分のスケッチを見せに行ったことで最初のナイキとのコラボが実現した
- Nike Air YeezyのはエアジョーダンのデザイナーTinker Hatfield(ティンカー・ハットフィールド)と一緒に作成
- Nike Air Yeezy 2にインスパイアされ、カニエとのコラボが終了したのちもNike Air Foamposite Pro YeezyはなどYeezy Colorといわれるカラーラインが存在する
- Kanye West(カニエ・ウェスト)がビジネスで最も尊敬するのはスティーブ・ジョブズ
- 彼がファッションビジネスの師事を仰いだ人物はディオールオムやイヴ・サンローランでクリエイティブ・ディレクターを務めたエディ・スリマン、逆にライバルはBalenciagaのクリエイティブディレクターDemna Gvasalia(デムナ・グヴァザリア)と公言している
- YeezyとAdidasのコラボのロイヤリティは卸売りの15%+マーケティング料として一定額のコミット(ジョーダンは5%と言われているのでかなり破格)といわれている
記事の目次
Introduction
YeezyはKanye West(カニエ・ウェスト)のブランドで主にAdidasとのコラボで展開されています。Yeezyの名前の由来は2003年の曲のイントロでJay-Zがつけたカニエに対してつけたニックネーム "Kanyeezy "から来ています。2015年からはアパレルも開始しており非常にラグジュアリーなデザイン、品質が人気のブランドです。バレンシアガのクリエイティブディレクターと目指すところが同じと公言するなどハイブランドとストリートウェアを掛け合わせたブランドで、彼の盟友であるヴァージル・アブローのOff-Whiteにもやはり通じるものを感じるブランドです。
ブランドイメージ
イメージ動画
CNBC制作 いかにKanyeがYeezyを成功させたか
kanyeと村上隆のコラボ
設立の秘話
経緯
音楽アーティストとして活躍しているときからカニエは非常にファッションに興味を抱いており、Adidasとのコラボにより満を持してリリースされました。パリコレで高い評価を受ける者の多額の借金を抱え、一時は資金調達をお願いして回るなど経営が苦しい部分もメディアに取り上げられましたが、現在ではYeezy Boostが空前の大ヒットとなり、長者番付の常連にまでカニエを押し上げたブランドです。
デザイン、品質は一級品で単なるコラボブランドとは一線を画しているこれから大注目のブランドにまで成長しました。
設立メンバー:Kanye Omari West (カニエ・オマリ・ウェスト)
ジョージア州アトランタ生まれ。父親レイはアトランタ・ジャーナル紙のフォトジャーナリスト、母ドンダはシカゴ州立大学で英語教授で、途中からは息子のマネージャーとなりました。
ウェストの両親は3歳の時に離婚しましたが円満離婚だったので、離婚後は母親とともにシカゴの中流階級が住む町で母親に育てられましたが、夏になると実の父親と一緒に過ごしたといいます。10歳の時、ウエストは母の大学の交換留学プログラムの一環として中国にも1年住んだ経験もあります。中国からシカゴに戻った後、サウスサイドのヒップホップシーンに惹かれたウエストは、DJでプロデューサーのNo I.D.と知り合い、彼の師事を仰ぐことに。学業もまじめできちんと高校を卒業し、奨学金を得てシカゴのアメリカン・アカデミー・オブ・アート(略AAArt)に進学しましたが音楽を追求するために中退。
シカゴのアーティストのプロデュースを中心に行い、chipmunk soulというスタイルで成功。2001年にNYに移住しますが、同時期に手掛けていたJay-ZのRoc-A-Fella Recordsのプロデューサーとして高い評価を受けます。Jay-Zの2001年の代表的なアルバム「The Blueprint」をマスターメイキングしたのと4曲をプロデュースしブレイク。
その後、ソロアーティストとしてデビューしたウエストはマーヴィン・ゲイやダフト・パンクの音楽をサンプリンツしたことでも大きな話題になりました。ただファーストアルバムのリリースは困難の連続で、カリフォルニアのスタジオでのレコーディングの帰りに交通事故に巻き込まれ、顎を骨折。また、アルバムが完成すると今後はそれがネット上に流出。ウェストは曲を書き直し、何とかリリースにこぎつけましたが大幅な修正が入ったためその一部は自身のお金で補填をしていました。
なお、カニエがソロのアーティストとして成功した背景には彼独自の世界観がありました。当時の主流派のラッパーたちが歌うようなギャング、ドラッグの売買やストリートでの小競り合いの話ではなく、ウェストはより繊細で内向的ななタイプの主人公を提示。彼の発信するメッセージは当時のラッパー、ヒップホッパーとは一線を画し、消費者主義、人種差別、高等教育、自身の宗教的信念を歌うなどウィットに富んだ気まぐれな態度が彼のパーソナリティとしてさらに広く支持されるようになる。ウエストはグラミー賞に10回ノミネートされ、「Jesus Walks」で最優秀ラップ・ソング賞、最優秀ラップ・アルバム賞を含む3つの賞を受賞。アルバムがリリースされた直後、ウエストはソニーBMGと共同で自身のレコードレーベルGOOD music(Getting Out Our Dreamsの頭文字をとったもの)を設立。彼はジョン・レジェンド、ビッグ・ショーン、コモン、プーシャ-Tなどの音楽を同レーベルからリリースしました。
順風満帆だったカニエですが、2007年に美容整形手術が原因で心臓病で母親でありマネージャーのドンダが58歳で死去。その影は彼の作品にも影を落とすようになり、物議をかもす言動も増えていきました。母親の死後にリリースしたアルバム『808s & Heartbreak』は、悲しみ、痛み、疎外感で溢れていた。2008年もエステル(Estelle)の "American Boy "とTIの "Swagga Like Us "で2つの楽曲にゲストとして参加しグラミー賞は獲得していますが、自身の楽曲ではチューニングを入れるようになるなど変化が見られた年でした。
彼の活動の大きな転機が訪れたのは2009年のMTV VMAの授賞式。テイラー・スウィフトの最優秀女性ビデオ賞の受賞スピーチの邪魔をするためにステージに飛び出し、ビヨンセが本来は受賞すべきだったと主張。この行動はアメリカ国内で強烈な反発を呼び、レディー・ガガとの予定していたアリーナツアーをキャンセルされた。しかし、その間カニエはフェンディのインターン(研修)のためにイタリアに移住(同時期にGAPのインターンも経験)。
2011年にはパリで初のコレクションを発表したが、大反響を呼びました。同年にヨーロッパから帰国するとやはり注目を集めましたが、それまでの彼の創造主への賛美は、2013年のアルバム『Yeezus』で「私は神だ」と断言したように自分自身の神聖さを主張するように変わっていました。
また、2016年には自身のファッション会社「Yeezy(イージー)」に資金を注ぎ込んだことで借金を抱え、Facebook CEOのマーク・ザッカーバーグに10億ドルをの出資を呼びかけたことも話題になりました。
最近では自身のブランドのウールのために約48,000,000平方メートルに及ぶ土地をアメリカ ワイオミング州に取得し、羊を育てているなど自身のステージを上げる趣旨の発言でさらに注目されています。
ブランドの特徴
コンセプト
Kanye自身がYeezyはスニーカーのランボルギーニだと語っています。また製品づくりにおいては常にAppleを意識しており、ディテールや素材に強いこだわりを持っています。プロジェクトに際しては彼の人脈から非常に優秀な人を招き入れているのでデザインなども評価が高く、いちセレブのブランドを超え、次世代のファッションアイコンにまで昇華させたブランドと言えるでしょう。
人気の商品
- Nike Air Yeezy 1s
- Nike Air Yeezy 2s
- Yeezy Boost 350s
- Yeezy Boost 350 V2s
- adidas Yeezy Boost 380s
- Adidas Yeezy 500s
- Adidas Yeezy Boost 700s
- Yeezy Boost 700 V2s
- アパレル
- BoostではないYeezyのシューズはSeason
Snap
その他
初期のころにKanyeがデザインに用いていたTeddy Bare。
最後に
おさらい
- YeezyはKanye West(カニエ・ウェスト)のブランド
- Yeezyの名前の由来は2003年の曲のイントロでJay-Zがつけたカニエに対してつけたニックネーム "Kanyeezy "
- 2009年にナイキのスニーカーからスタート、2013年にアディダスにこのスニーカーラインは引き継がれた
- 2015年からはアパレルも開始
- アパレルはSeason1からスタートし、2020年初頭で8まで展開。タグなどにSeasonが記載されるなどSeasonごとにラインを明確にしている。
- 2016年からSteven Smith(スティーブン・スミス)がクリエイティブディレクターに就任。以前はニューバランスのスニーカーやリーボックのInstaPump Furyを手掛けた人物
あらためてマニア向け情報
- カニエのシューズビジネスの原点はBAPEとのコラボ
- カニエは学校の写生の時間にスニーカーのデザインを描いて何回も怒られたことがある
- 大学教授だった母親に連れられて日本の映画『アキラ』を見て衝撃を受けた、特にデザインに色彩に大きなインスピレーションを得た
- 今でも村上隆のデザインが好きなど日本のサブカルに大きな影響を受けている
- NikeのCEOだったMark Parker(マーク・パーカー)が飛行機に乗っているのに気付いたウェストが自分のスケッチを見せに行ったことで最初のナイキとのコラボが実現した
- Nike Air YeezyのはエアジョーダンのデザイナーTinker Hatfield(ティンカー・ハットフィールド)と一緒に作成
- Nike Air Yeezy 2にインスパイアされ、カニエとのコラボが終了したのちもNike Air Foamposite Pro YeezyはなどYeezy Colorといわれるカラーラインが存在する
- Kanye West(カニエ・ウェスト)がビジネスで最も尊敬するのはスティーブ・ジョブズ
- 彼がファッションビジネスの師事を仰いだ人物はディオールオムやイヴ・サンローランでクリエイティブ・ディレクターを務めたエディ・スリマン、逆にライバルはBalenciagaのクリエイティブディレクターDemna Gvasalia(デムナ・グヴァザリア)と公言している
- YeezyとAdidasのコラボのロイヤリティは卸売りの15%+マーケティング料として一定額のコミット(ジョーダンは5%と言われているのでかなり破格)といわれている